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はじめに


母方の伯母は昭和初期にこの列島で山野千枝子さんが始めたファッションモデル(呼び名は「マネキン」)の第1号だった。 当時、オートバイは最高の道楽でモデルとしてファッション広告に登場する他に自分でも乗り回していたとのことである。  一方私の父は1927年1月に徴兵されて陸軍自動車学校に分遣され翌年10月に卒業と同時に満期退役し予備役に編入され、日中戦争が勃発した1937年には招集されて輜重兵(しちょうへい)として従軍した。 ハーレーのサイドカーに乗っている写真が残されていた。

中古車を扱っているウェブサイトに1928年型のハーレーを画像あったので上の画像のハーレーと比べてみると一致した。

1928年型 ハーレーダヴィッドソン

戦後育ちの私の世代は、中学生の時にホンダから発売された四角いヘッドライトの画期的なデザイン、2気筒エンジンを搭載し、独特の排気音で識別できる新型車、黒い「ホンダドリーム」に憧れた。 

ホンダ・ドリーム C70 1957年

ホンダ・ドリーム C70 と 本田宗一郎

自転車に代わる簡易な輸送のための乗り物が、スポーツ、レジャーのための新しい乗り物になった。  そのころから、オートバイは若者のハートを虜にして売れに売れてブームになった。  数あるオートバイメーカーは厳しい技術力や販売競争を経て間もなく淘汰されてホンダ、ヤマハ、川崎、スズキの4社に集約された。

1970年代には、空冷4気筒エンジンの「ホンダドリーム CB400 FOUR」 という高性能車が人気になった。

1977年には生産性が高く、コストパーフォーマンスとメンテナンス性に優れる、空冷2気筒エンジンを積んだ「ホンダホーク II CB400T」 がリリースされて爆発的なブームが再来した。 

その頃、東京電力の福島第一原子力発電所の放射性廃棄物処理施設建設のための仕事で通った発電所構内の現場事務所には、隣に元請け会社のゼネラルエレクトリック社の現場事務所があり、そこにアメリカ人の技師たちがホンダの大型オートバイで通う姿を見るうちに、自分でもオートバイに乗ってみたいという気になった。

ホンダホークIIの発売の翌年の1978年に、ホンダは水冷V型縦軸2気筒エンジンでドライブシャフト駆動という全く新しい中型オートバイの 「ホンダウィング GL400」 を発表した。 そのメカニカルの斬新さに惹かれて発売前に予約してしまった。  それが私のオートバイ生活のスタートである。 

その 「ホンダウィング GL400」 は大切に大切に使った。  この独特な形式のオートバイはややマニアックで販売台数はそれほど多くなかったが、「オーナー会」にも入り、同好の人たちと情報交換やグループツーリング、定例ミーティングなどにも参加していた。  所有して25年経った 2003年には "World Best Maintained Honda Wing GL400" にも選ばれた。  

2003年に職場を定年退職する際には、大型二輪車の免許を取得して、BMW のツーリング用の大型オートバイ 「BMW R1150RT」 を購入し、退職後はオートバイ旅行を楽しんだ。

2台のオートバイの維持が困難になったので 2007年になって 29年間維持してきた 「ホンダウィング GL400」 を泣く泣く手放した。

BMW R1150RT」で、国内の各地を走り回り、ヨーロッパアルプスの峠越えツアーにも行った。

ヨーロッパツアー後はもっぱら 「分水嶺の峠」 にこだわって、本州、四国、九州の中央分水嶺の峠のほとんどを越えたが、残りが大型オートバイでは行くことのできない未舗装の峠道になったので、2007年に思い切ってダウンサイジングして同じ BMW の 単気筒 650cc の 「F650GS」 に乗り換えた。

 

このページはその 「ホンダウィング GL400」 と BMWの大型オートバイによるツーリングの記録である。


写真集 私の自慢だった「ホンダウィング GL400」

データと写真集 オートバイ旅行の記録

旅行記と写真集 ヨーロッパアルプスの峠越え

写真集 旅の途中で立寄った日本の灯台

写真集 これまでに宿泊したユースホステル