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環境事業局の保土ヶ谷工場の排気筒の解体工事の様子をしばらく見ていなかったら少し低くなった。 ちょうどこの段の最後の1枚が吊り降ろされていた。

我が家の北側の通路から北側を見通すと今井川、国道1号線(東海道)、JR東海道線・湘南横須賀ラインが通る谷
(江戸時代の保土ヶ谷宿の旧元町)
を挟んだ向こう側の丘の上の真正面に横浜市立岩崎中学校が見える。 線路沿いは岩崎小学校。 丘の上の照明灯は神奈川県立保土ヶ谷公園内のサーティフォー保土ヶ谷球場。


中央の竹林の後の少し低い旧式の屋根の薄茶色の壁の家屋 (二階建て) がMの実家である。 周りの家はみんなモダンになっている。

南向きの斜面に建っているが学校側からと南側の両側からアクセスできる。 南側の通路沿いの隣の家
(昔はこのあたりの地主さんだったとのこと)
との間に鳥居と祠がある。 右上の二階家が実家である。 この通路は実家だけに通じる私道なので一般の人が通ることはないが、きちんと整備されている。


この祠のことをMに聞くと、自分がここに住んでいたときはこの祠の他に寺もあったという。 そこで「今昔マップ」で明治39年の地形図を開いてみた。 下の星印が我が家、上の星印が実家。 赤い矢印の先に神社の印があるがこれがこの祠、あるいは当時の神社だった。 この、今は桜ヶ丘と呼ばれているこの台地一帯は明治時代にはなにもないがおそらく籔だったのだろう。 下の東海道保土ヶ谷宿から尾根伝いにこの祠に至る1本の道が引かれているが祠への参道だと思われる。 実家の背後の丘の上のやや平になっているところが今の岩崎中学校と桜丘高校、それに保土ヶ谷公園のある台地である。 東西に走るの尾根道
(帷子川と今井川の分水嶺) は大正時代に桜の並木道になった。

今ではこの一帯はすべて住宅に埋め尽くされている。 4つの時代の地図や航空写真の比較。
左上: 1906(明治39)、左下: 1945-1950、右上: 1961-1964、右下: 現在

帰りは東側の小さい尾根沿いに建っている古い市営団地・桜丘グリーンハイツ、岩崎坂 (愛称ポール坂)
を通って戻った。 とても愉快な外出になった。
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